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中尊寺

世界遺産の中尊寺をひとり旅!という贅沢な週末を過ごした。
本来の用事で居た場所からわりと近いという事で、ちょっと寄り道のつもりが思いの外のんびりしてきました。

気温は28℃で晴天。普通に歩いても汗ばむ天気。
本堂に着くまでには、月見坂という勾配の急な坂道を歩きます。
私でも「きついなぁ、戻ろうかなぁ」と思って歩いていたのに、たくさんのご高齢の方が一生懸命歩いていました。

なぜ人はこんなきつい坂の先にある物を見たがるのか、なぜそれを崇め奉るのか、
私はなぜ引き返さずに登り続けるのかと自問自答しながら進む坂道。
もしかしたら心動く壮大な景色があるのかもしれないという期待も持ちながら・・・

本堂手前でお土産屋を覗くと「お子様の破損が多いので破損の際は弁償です」という張り紙を見つける。
「資本主義発見!」という謎のレーダー発動。仏教世界とは相反するように思う資本主義の現世。
煩悩だらけの現世において、このような聖地は人々の癒しになるのだろう。
その聖地にも人間の営みがあるわけで、いくら仏様のお膝元とはいえ商売をやってる以上は継続させなければいけない。
もし土産屋も何もない場所なら、観光地としては栄えない。
観光地として栄えなければ、中尊寺の維持さえも難しい。
これも商売なのだと思うとうっすら興ざめしてしまう自分が嫌だ。
「清めてまいります」と決心し、いざ本堂へ。

大きな釈迦如来坐像がおりました。なんたる迫力。
自然と姿勢を正し、正座で相対しました。周りの人々はその荘厳な気配に手を合わせています。
なんでしょうね、人間の本能には人智を超越した神秘なものに手を合わせるという機能があるのでしょうか。

その隣の部屋には中尊寺の歴史が書かれたボードが多数あり一通り目を通す。
ここで本堂のすぐ近くに金色堂という国宝建造物がある事を知りました。
奥州藤原氏初代清衡公が、極楽浄土の有様を具体的に表現したとされる御堂です。
清衡公が考えた極楽浄土とはどんなものか。全ての生き物の御魂を導くとされる極楽浄土。
戦乱の時代を経て切実に平和を願った清衡公がどんなイメージをもって建てたのか。
私もそれを見たら極楽浄土と感じるだろうか。

拝観料が1000円。一瞬立ち止まる。
「ここまで来たからには」という想いが背中を押す。
こんな時、ひとり旅の醍醐味を味わう。どうしたいかは自分で決める。
見飽きるまで見続けられる。いいなこの時間。

ひんやりとするコンクリートの建物の中にある金色堂は、葬儀場を彷彿とさせる厳粛な空間でして、
それもそのはず、藤原氏四代のご遺体が安置されているのです。随分長いこと眺めていました。
これが清衡公がイメージした極楽浄土か。豪華絢爛な装飾の数々。金箔をたっぷり使った建造物。
計算された屋根の曲線美。もしかしたら追い求めた極楽浄土は質素な作りで、全ての煩悩を捨てた先に「無」というものがあり、
その空間をどう見るかを試される場だといいなと思ってました。
真理は「無」であることです。とシンプルに説いてくれたらいいなと。
しかし極楽浄土はそれが極楽浄土だと分かる形としてそこにありました。
黄金に輝くその内部は、一体どんなライトで照らされているんだろうと考えてしまう私。まだ清められていない。

そんな旅の終わりに、月見坂の大きな杉の木で心が動きました。
樹齢300年を超える古杉の雄大な姿がなんとも言えず。
ここに根を張って300年も参拝者を見守ってきたのだなと思うと、その年月を生きられない人間の私にはそれこそが
神様のように思うのです。

おわり

 

 

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